さくら行政書士事務所
改葬、お墓の移転、お墓の移動は古来珍しいものではなく、実際に多くの著名人が改葬されています。
このページでは、改葬された著名人についての実例をご紹介しています。
改葬、墓じまい、お墓の移転、引っ越しや整理、無縁墳墓改葬の代理、代行を主要な業務とする専門の行政書士事務所です。
改葬許可申請などの法律上の手続き、手配はもちろん、行政機関との交渉もお手伝いいたします。
墓石の解体撤去や墓地を更地にする整地工事を依頼する石材店さんなどの手配もいたします。
散骨や樹木葬、永代供養、永代納骨などをご検討の方のご案内もいたします。
藤原鎌足(中臣鎌足)
飛鳥時代の政治家、藤原氏の開祖。中大兄皇子と共に大化の改新の中心人物となった。
明確な記録ははっきりしませんが、摂津国安威(現在の大阪府茨木市)から、大和国多武峯(現在の奈良県)に改葬されたとする資料があります。
考古学上は、大阪府茨木市と大阪府高槻市にまたがる阿武山古墳の被葬者ではないかとする見解が有力です。
島津久豊
江戸時代に薩摩藩(現在の鹿児島県など)を統治した島津氏の、室町時代中期の第8代当主です。
島津氏を守護大名として成立させた武将であると言われています。
1425年に亡くなりました。
その後、江戸時代末期の1857年(安政4年)に、薩摩藩主の島津家により、現在の宮崎県宮崎市高岡町小山田3674-2にお墓が設けられました。
昭和時代になってから、島津氏によりお墓が発掘され、ご遺骨は鹿児島県に改葬されました。
徳川家康
江戸幕府を開いて戦国時代を終わらせた武将。江戸幕府の初代征夷大将軍。
死後は最晩年の居城のあった駿府城の近くの久能山(現在の静岡県静岡市駿河区にある、久能山東照宮)に葬られましたが、一周忌に際して日光の東照宮(栃木県日光市)に改葬されました。
松平信康(徳川信康)
徳川家康の長男。
詳細な理由は未だに不明とされていますが、徳川家康に自害を命じられ、21歳で生涯を終えました。
本来ならば後に改葬されるべきところを、改葬されていないとして、徳川家康との不仲説の根拠とする見解もありましたが、これを否定する見方が通説になっています。
静岡県浜松市天竜区の清瀧寺に、胴体が葬られたとする廟所(お墓)が現存しています。この他、愛知県岡崎市、東京都新宿区、茨城県古河市、神奈川県小田原市、静岡県静岡市清水区、和歌山県高野町にも、お墓や供養塔があります。
平手汎秀
織田信長の家臣。
現在の静岡県浜松市北区で行われた、武田信玄と徳川家康との三方ヶ原の戦いにおいて討死しました。
静岡県浜松市の戦没地と伝わる場所に、家臣と共に墳墓が設けられていましたが、老朽化によって荒れた状態になっていました。
2007年に愛知県稲沢市の平手家の菩提寺に改葬されました。
直江兼続
戦国時代から江戸時代にかけての武将。上杉家・米沢藩の家老。
山形県米沢市の徳昌寺に墓所が設けられましたが、お寺同士の争いにより廃絶となったために、山形県米沢市の林泉寺に改葬されました。
山形県米沢市の林泉寺では、一般の方の直江兼続墓所の拝観も行えます。
加藤清正
戦国時代から江戸時代にかけての武将、大名。肥後国・熊本藩の藩主。名城として名高い熊本城を築いたことでも知られます。
死後、熊本市の加藤家の菩提寺に埋葬されましたが、息子である加藤忠広が改易された折に、配所である山形県鶴岡市に遺骨を持ち出して改葬しました。
最上義光(もがみよしあき)
戦国時代から江戸時代にかけての武将、大名。出羽国・山形藩の藩主。
山形藩主として山形城で死去し、現在の山形県山形市に墓所が設けられました。
後に最上氏が転封・改易されたことで、後任の山形藩主として鳥居氏が転封してきた際に菩提寺である現在の山形県山形市の光禅寺が移転され、現在のお寺の場所に改葬されました。
改葬の際は旧最上氏の家臣たちが集まり、大がかりに行われたものと伝えられています。
秋田藩主(久保田藩主)・佐竹家の墓所
江戸時代に現在の秋田県を治めた佐竹家の菩提寺は、秋田県秋田市の天徳寺と東京都板橋区の総泉寺とに分かれていましたが、1998年(平成15年)に秋田県秋田市の天徳寺に改葬してまとめられました。
徳川家茂
江戸時代末期の征夷大将軍。皇女和宮の夫。
吉田松陰
長州藩(現在の山口県)を代表する、江戸時代末期の思想家。安政の大獄で刑死しました。
刑死直後に、東京都荒川区に埋葬されましたが、後に東京都世田谷区に改葬されました。
福岡藩主・黒田家の墓所
江戸時代に現在の福岡県の一部である筑前国を治めた黒田家の菩提寺は、福岡県福岡市博多区の崇福寺にあります。
広大な墓域がありましたが、福岡空襲で被災し、戦後に規模を縮小して改葬されました。
昭和時代の軍人。
戦死した後、東京都府中市の多磨霊園に墓所が設けられたましが、後に郷里である新潟県長岡市のお寺に改葬されました。
陸奥宗光
明治時代の政治家、外交官。伊藤博文内閣の外務大臣として、不平等条約の改定などに尽力しました。また、日清戦争の講和条約である下関条約に日本の全権として調印しました。
死後、大阪府大阪市天王寺区に墓所が設けられましたが、1953年に神奈川県鎌倉市扇ヶ谷のお寺に改葬されました。
森鴎外
明治時代、大正時代の小説家。『高瀬舟』などの作品を執筆したことで知られています。
死後、東京都墨田区向島にあるお寺に墓所が設けられましたが、関東大震災でお墓が被災したことで、東京都三鷹市の禅林寺と島根県鹿足郡津和野町の永明寺に改葬されました。
東京都三鷹市の禅林寺のお墓は、森鴎外を尊敬していたという太宰治のお墓と向かい合う形で設けられています。
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事務所サイトの開設日:2006年9月3日
このページの公開日:2014年8月18日
このページの最終更新日:2019年3月2日
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